欲張りすぎない

First shrine visit of New Year

仕事がら、あれもしないと!これもできないと!さらにアウトプットしないと!…と「スキルアップ」「情報収集」思考に囚われがちで、実際がんばって手を出してみたり、時間が作れずやら何やら言い訳しつつ、なかなか実現できずにいる自分に失望してやけっぱちな気分になってしまう日常で、かつ周りの友人や知人は優秀かつ向上心がある人ばかりなもので自分の「やれてなさ」がさらに浮き彫りになり、ご多分にもれず「プチ病み状態」な感じに陥った。事態を改善すべくいろいろ思い悩んで悶々としていたけれども、けっきょくのところ「よそはよそ、うちはうち」ってことで開き直るのが一番と思うに至った。

当たり前っぽい話、自分の思う自分像と人から見られている自分像ってちょっとずれていて、やはりそれぞれ自分の都合のいい感じ(寄り)になっている感じがしている。自分が思う「自分の見方」は「こう見られてたら嬉しいけれど、そうじゃなかったらちょっと恥ずかしいから低めに見積もっておく」みたいな過小評価しがちなんじゃないかなと。ちょっと少なく見積もっておいた方が「固い」みたいな気持ちがあって、でもって自分から見る他の人というのが素直に見てたりするもんだから結果「あの人はすごいなー(自分はだめだなー)」という。

あれもしてこれもできるにこしたことはないけれど、あれこれあれこれ取りにいこうとして結局どうしたいのかどうなりたいのか現状どうなのかがこんがらがってしまっていた。

しかしながら、よくよく考えてみると今までなーんにもしていなかったわけではないわけで、そんなに卑下することもないんじゃないかなとふと気づいた。いろいろ足らないところはまぁあるけれど、そこそこ役に立っていることもある。喜ばれることもあるし、自分で楽しくやれているところもあるわけで。そこをちょっとないがしろにしてしまって「まるでだめだ!」とうつむいてばかりはなんだか楽しくないぞと。

そんな風に考えてみると不思議なものであれもこれも!と闇雲に追いかけていた技術やら情報やらをちょっと引いた感じで見られるようになってきて、かなり気分的にもラクになってきた。漠然と身につけないと!と思っていた技術も「これをやるにはこれが必要」(だから勉強する)と具体的にやるイメージもできてきた。と同時にやるからには現実的にいつどのぐらい時間をかけられるかということまで考えられるようになってきた。当たり前といえば当たり前のことだが、消化するスピードよりインプットしないといけないものが増えるスピードの方が早く感じていたし、それぐらい見失っていたし、焦っていたのだ。

年末に一つ、年始に一つ、やれそうだな・続きそうだな、というものが見つかったので、ひとまずやってみようと思う。過去には「今年はこれをやる」「これをモノにする」と宣言することで自分を追い込む、みたいなことをしたりだけれども、どうもうまくいった試しがないので、とりあえず黙って始める、少しずつでもいいから続けてみる。形から入るのが大好きだけれども形を作って満足してしまいがちなのだ…。

情報収集に関してはもう去年の後半ぐらいから実践していることだけれどもとにかく「確かな筋」(信頼のおける実際の知人・情報にそれなりに責任をもてるメディア)、興味のあるトピックスに関しては「まとめ記事・要約記事」ではなく「一次情報」を確認するようにする。多少の取り逃しはあっても、重要であればあるほど「より確かな筋」から二報、三報として入ってくるので気にしない。これでいい感じにフィルターできてる感じ。これも多少のことは気にしない、欲張らない。